事件が起きると、こぞってメディアは現地に取材に押しかける。そして、近隣住民や職場の人、知友人・・・当事者を知るありとあらゆる人に
人物像を聞きまわる。
お決まりのようなセリフ・・・・
「マジメな人でしたよ・・・。」
「そんな人には見えませんでしたけどねぇ・・・・。」
「会えばきちんと挨拶する感じのいい人でしたけどねぇ・・・。」
全てではないが、多くが凶悪犯罪を起こした人物とは思えないような人物評価である。
一方、被害者の人物像も然り・・・。
「殺されても仕方ない人だと思いますよ・・・。」
「まぁしょうがないんじゃないッスかぁ?!」
なんていうのは聞いたことがない。
しかし、思い返してみると、いわゆる
エリートといわれる人間がとんでもない事件に関与していた事件はいくつもある。
高度な教育を受けていても、一流企業に勤めていても、公僕であろうが聖職者であろうが、時には世間を騒がす事件に関与している場合がある。
つまり、これまで「
立派な人」とか、「
マジメな人」という評価基準に誤りがあるのではないか。
本当に立派な人なら罪を犯すだろうか・・・・本当にマジメな人が残忍な行為をするだろうか・・・・。
DV問題に関わっているとよく出てくる話であるが、「普段は温厚で職場でも人望がある、職責の高い地位についていることもある、腰が低くて人当たりがいい・・・そんな人が家庭では暴力をふるうこともあるんです!」とあちこちで耳にする。
温厚に見える人は善人なのか・・・?
職場での人望があれば悪行はしないのか・・・?
腰が低くて人当たりがいい人は犯罪者にならないのか・・・・?
どんな人物評価なら「
いかにも犯罪者になりそう」な人なんだろう・・・・・?
全国の女子刑務所には、かつてDVの被害者が傷害罪や殺人罪の罪名で服役している。どこまでいっても刑法上は、傷害罪や殺人罪の加害者である。しかし、そのような罪を犯すまでに彼女らが背負ってきた「
被害」は決して軽くはない・・・。
女性ストーカーの問題にしてもそうである。嫌がらせの電話をする、職場に押しかける・・・よくよく探ってみると元は男性がその女性を弄んでいた・・・騙していた・・・など自分に都合のよい扱い方をしておきながら家庭、職場などでの立場を守ろうとして切り捨てたという
真実が隠されている場合も少なくない。
しかし、世間の目やマスコミの報道は目に見える、刑法上や「社会の目」に見えている部分だけを取り上げて加害者と被害者の人物像を作り上げていく。
そろそろこれまでの人物評価基準を根本的に考え直す時期がきているのではないか。そして、表面に現れる
社会にとっての問題の下に潜んでいる根本問題を見抜く力を私達は身につけていかなければならないのではないか。
「騒音おばさん事件」・・・確かに彼女の言動は容認できるものではないが、あくまでも彼女の「敵意」は近隣全体ではなく、「特定人物」であったはずである。報道されはじめた頃は「被害者」に「最初のごめんなさい」を言わせようとして取った行動がエスカレートしてあの「決まり文句」になったと言われていたが、「事件」になってからはどこまでいっても「刑法上の被害者」は「無辜の被害者」として報道されていた。
私が知りたいのは「刑法上の加害者と被害者」ではない。
最初のごめんなさいを言わなかった「真の加害者と被害者」なのである。
穿った見方かもしれない。しかし、「事件」がらみのケースに関わると、どうしてもこの問題にぶち当たるのである。
最初にあなたが「ごめんなさい」と言っていれば誰も被害者にも加害者にもならなかったのではないですか・・・? そして、最初の「ごめんなさい」が言えない人に高い評価を与えてはいけない・・・・・。
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